時代小説「ひこま豚ひこ左衛門」第二章

第2章/離別と帰省

 

しかし翌年、1万6千人以上の死者を出した信濃・越後大地震が発生。ひこ左衛門とさきは命からがら逃げ出すも、町は完全に崩壊してしまう。それから5年。ひこ左衛門は町の再興に尽力することになるが、自分の無力さから酒の量が増え、さきやヨネスケに絡むことも多くなった。

嘉永6年(1853年)6月、浦賀に巨大な黒船が出現。アメリカの東インド艦隊司令マシュー・ペリーが率いる4隻の軍艦は、それまで鎖国政策をとってきた幕府と国民を恐怖のどん底に陥れた。この知らせを聞いたひこ左衛門は、かつて伝え聞いた諸外国へ夢を馳せるようになり、信州に定住したいと願うさきとの溝が徐々に深まり始める。
さきはこう回想する。
「ずっと一緒にいたいと言っても、う〜んとかそうだなぁとか曖昧な返事ばかり。酒癖も悪くなり、私も正直どうしたものか思案していました。」
そしてついにひこ左衛門はさきとの別離を決意。江戸へ向けて信州を後にする。

とりあえず食いぶちを稼がねばならないひこ左衛門は、日本橋品川町でその名を轟かせていた南辰一刀流真武館を訪れる。しかし師範を希望していた彼を待ち構えていたのは、全国各藩から集まった腕自慢たち。ひこ左衛門は逆に教えを乞うことになる。この時、ともに汗を流した門下生の中に、後の日本に大きな影響を与えることになる土佐藩士、坂本龍馬がいた。

安政元年(1854年)1月、ペリーは7隻の軍艦を率いて江戸湾に進出。幕府は日米和親条約を締結せざるを得なくなり、下田と函館の開港を余儀なくされる。これ以降、日本国内は攘夷派と開国派の主張が激しくなり、ひこ左衛門は身の振り方を決めるため、久しぶりの実家へ戻ることとなった。

それから4年ほど横浜村の実家「ひこま流剣術道場」で過ごしていたひこ左衛門であったが、ある日、父から衝撃的な話を聞くことになる。

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