時代小説「ひこま豚ひこ左衛門」第三章

第3章/新天地へ

 

「日本はこの先、武士の世ではなくなるであろう。開国ともなれば大勢の異国人が日本にやってくる。その時、力を持つのは剣術ではなく商才だ。お主、商いを始める気はないか」

それは安政5年(1858年)。折しも同門の友・坂本龍馬が南辰一刀流長刀兵法目録を伝授され、遠い蝦夷地では「森村」が成立した年でもあった。
しばらく聞かぬフリをしていたひこ左衛門だったが、翌年には30歳となり、9月に奥羽六藩が蝦夷地を分割・開拓することになったことを機に、ついに見知らぬ土地へ足を踏み入れることを決意する。この決断にはまる一年を費やした。

森村へ入村したひこ左衛門は、その豊かな自然に魅せられ、この地で商いを始めることを誓う。
そんな折、同じく開拓のために入村してきた一家の娘・たま(18歳)にも魅せられてしまい、歳の差を乗り越えて一緒に生活することとなる。
この時の決断はさきの時よりも早かったが、さきとの別離がトラウマとなっていたひこ左衛門は結婚には踏み込まず、たまは内縁の妻という存在であった。

たまの父はもともと商人で、ひこ左衛門にたまを娶るよう懇願したが、優柔不断ながら誠実な性格と見抜き、それ以上は強く言わなかった。そして養豚を強く奨めることになる。
本州では相変わらず攘夷派と開国派が激しい争いを繰り返しており、万延元年(1860年)には桜田門外にて大老・井伊直弼が暗殺されたほか、アメリカ公使館通訳が薩摩藩士に殺害されたり、翌年には水戸藩士がイギリス公使館を襲撃するなど、血なまぐさい事件も発生していた。

それから9年後の慶応2年(1866年)、ひこ左衛門はたまとともに養豚業に勤しみ、その剣術の腕を見込まれ、松前藩の剣術指南という仕事もこなしていた。
商いと剣術。自分の中では相反する2つの仕事ではあったが、いずれも軌道に乗り、一家は幸せな毎日を過ごしていた。
 

またひこ左衛門がと殺する際、振り上げた刀で一刀両断することから、巷では「ひこま豚ひこ左衛門」という名前で呼ばれるようになっていた。
 

そんな折に届いたのは旧友・坂本龍馬からの手紙だった。手紙には龍馬がおりょうという女性と夫婦になり、寺田屋で負った傷を癒すため、九州の温泉を巡っているとあった。
そういえば同居以来、たまに満足な休みもとらせていないと考えたひこ左衛門は、同居9年目にして婚前旅行に出かけている。

 
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